[5]妹の思い

何も話さなくなった私に業を煮やした母や親戚たちは、妹に方向転換した。

 

偶然にも、妹とお付き合いしていた男性は、長男でも無く、農業にも拒みも無く、むしろ同じような農家育ちで稲作に馴染みがあったようだ。そして機械いじりが得意という。

 

しかし、それまで次女という自由な立場で家名を継ぐことなど一切考えてなかった妹は、重い責任を押し付けられたという気持ちが大きかったようだ。

 

高価な農機具の購入資金に追われ、兼業になるのを余儀なくされ、しかも身体の弱かった父は定職に就けず借金まみれという現実を知っていたのもあると思う。

 

土曜日も日曜日も大型連休も無く、最高に気候のいい時期に旅行にもレジャーにも行けず、自然災害に遭うこともよくあり、本当に大変だということも知っている。

 

それを秘密主義の姉のせいで、突然押し付けられたわけだ。

 

その点では申し訳なさもある。

私は、遺留分を含め相続の一切を放棄する手続きをした。

家庭裁判所での手続きの中で「この辺りは開発が進んでいて、今後土地が高騰する可能性があります。それでもよろしいですか」と念を押された。

「それでもいいです。」と返答して実印を押した。

 

最終的に、妹はその彼と結婚し、文字通りスープの冷めぬ程度の距離の別宅に住み、残った土地と稲作を受け継ぐことになった。

 

 

もともとの性格の相違、私は改革派、妹は保守派。

そういう点でも仲の良いきょうだいとは言いがたかった。

 

母の言うことに忠実な妹に対して、母が何かにつけて言った「お姉ちゃんのようになりなさんな」という言葉が更に亀裂を生んでいたと思う。