[14]可愛いおばあちゃんになる

初めの二週間はしんどかった。

入れ替わりで看護師さんが部屋にやってくるけど、みな同じ人に見える。

 

 

 

4日目からリハビリが始まったが、慣れているはずの歩行器で、上手く歩けない。

 

今は、安静に…では無く、寝たままだと筋肉が衰えるので、できるだけ動くようにと言われるようになった。

この病院の方針でもあるようだ。

 

 

 

 

1か月近く経った頃、

歩行器を使って割とスムーズに歩けるようになった。

 

リハビリルームの何人かの理学療法士さんの顔も認識できるようになった。

 

 

そのリハビリルームでのこと。

ある日、初めて見る顔なのに、とても穏やかな笑顔を投げかけてくる80歳過ぎと思われる可愛い女性に出会った。

 

きっと誰にでも同じような笑顔投げかけているのだろう。

言葉を交わしたわけではない。

お喋りな人でもなさそう。

病院に居るということは、どこか患っているはず。

小さな体なのに、その人がいるだけで広いリハビリルームが穏やかな空気に包まれる。

 

 

 

そういえば、うちの祖母も穏やかな笑顔を醸し出していた。

 

 

 

夫はガスコンロの火のつけ方も電子レンジとグリルの違いもわからない、冷蔵庫の野菜室の場所もわからない人だった。

 

私がこの病気になってからも、私から言われたことしかしない人だった。

 

それが、今では調理、買い物、その買い物した物を冷蔵庫やストック棚に収めたり、日々の献立まで全部やってくれる。

 

 

不本意だが、あの騒動に夫を巻き込んでしまった。

 

夫は平日に休みのあるシフト制の仕事に変わってくれた。

何もしなかった夫がマメになったのは、あの騒動があってからのように思う。

 

 

今回の入院騒ぎも、最初は勝手が分からず、着替えや小物など持って来てとお願いして度々来てもらっていた。

 

その後は「無理しなくてもいいよ。明日も仕事早いんだし」と伝えているのに、休みの度2〜3日に一度は来てくれる。

仕事が休みであれば、日を空けずに連日来てくれる。

 

どちらかというと、淡白な人だったはずだ。

きっと、母に似て歳取っても油断ならないと思ったのだろう。

 

 

大丈夫!

私は、家いた父方のおばあちゃんの血もひいている。

 

 

スパゲッティを茹でることさえできない。

何もできなくなった私。

 

できることといえば、あの日見た女性と同じ笑顔でいること。

 

私もきっと可愛いおばあちゃんになる。

 

 

 

ある冬の日の午後。

米農家は、農閑期になり穏やかな時間が流れる。

暖かい日差しが差し込む縁側で縫い物をする祖母がいて、かたわらで飼い猫がその糸にじゃれている。

 

 

その日の祖父は、いつものコタツの一片を陣取りドーンと構えていた。  

 

しかし、その日の祖父はいつもの姿と違っていた。

両腕を台の上にあげ、手のひらは斜め向かいの祖母の方を向いていた。

 

その手には束になった糸がかけてあり、向かいの祖母が丸く巻いていた。

 

糸が片方の手に来ると、チョコンと親指を曲げる。もう一方の手の方に来ると、又その親指をチョコンと曲げる。

 

要は、祖父が糸車になっていたのだ。

かたわらで幼いわたしは何かしらで遊んでいたと思う。

 

喋れなくなり、歩けなくなった祖父だけど、それくらいはできる。十分役に立っている。

 

どういう経緯でそういう形になったのか、覚えていないけど、

そこには確実に穏やかなあたたかい時間が流れていた。