[11]わたしの思うこと

年下の男より、身体の弱い父に代わって永い間この家に頻繁に出入りしてた父の姉の旦那様とできてたことの方が問題になった。

 

伯母さん夫婦は地域や学校の役員をやっていたり、いろんな世話役を買って出ていて信頼を得ていた。

おじさんに至っては、町内の行事の司会を務めたり、ちょっとした有名人だった。 

おしどり夫婦としても有名で、あの当時珍しく大恋愛で結婚した奥さんのきょうだいの為に尽力している働き者としても崇められていた。

 

その奥さんである父の姉は、既に亡くなっているが、晩年は重い病気を患っていた。

その病名を知りたくて、その騒動の頃おじさん宛てに手紙を出したことがある。

 

私の病気を悟られないよう注意して、

あなたと母のことは、いつかの電話を受けた時から承知している。

が、ずっと誰にも言わないでいたこと。

そして、この手紙のことも誰にも告げないことを約束して。

 

私が何十年も誰にも言ってないことで私を信用してくれた。

尋ねていないことまで答えてくれた。

 

母とそのおじさんは、私が知るずっと前から付き合っていたらしい。

私は、夕ご飯の後、自室にこもってラジオに夢中だったので気づかなかった。

 

田舎の古い家にありがちだが、私の家は、6畳の部屋が2階と合わせて10部屋、それに食事部屋と広い土間の炊事場、農機具置き場と農作業場を兼ねた広い納屋が三部屋、ちょっとした中庭とそれに面した蔵もあった。

 

駐車場を兼ねた庭も広い。車なら数台は余裕で止められたと思う。

反対側には観賞用の庭もあった。

その奥に母の部屋がある。

 

父は入退院を繰り返していたし、夕ご飯の後はそれぞれ離れた自室にこもり、母は食事の後片付け、遅くまて縫い物をしてると誰もが思っていた。

 

伯母の家でもあるおじさんの家は、車で10分程度と比較的近くにあり、地域の世話役もやっていたので、夜ちょくちょく出かけても誰も疑わない状況にあった。

身体の弱い父に代わって、休日や夜通しの農作業でうちにも頻繁に出入りしていた。

 

母は、不本意な結婚にもかかわらず、家計を支え、三世代に加え小姑を含めた大家族のお三度、農業、酪農をやっていた時期もあり、朝早くからの牛の世話。昼間は外に出て働き、夜は内職を兼ねた縫い物をしていたり、殆ど病気もせず、とにかく元気な働き者だった。

 

 

そんな頑張り屋の母と身体の弱い父に代わって出はいりの多いおじさんが恋仲になるのはごく自然なこと。 

 

が、決して許されない恋でもあった。

 

この騒動で二人のことが知られることになり、

しかし、悪く言われたのは母ばかり。

離れた町で暮らすことになったのも、結果的に一番の悪者にされてしまった。

 

一方おじさんの方は、多少の影響はあっただろうが変わらずあの町で暮らしている。

悪い噂も流れて来ない。

 

もし、年下の男が金目当てだったとしたら、本当に母を心配して二人の仲を割こうとしたのだろう。

 

 

恋愛は対等だと思う。

母だけ悪者にされたことに違和感がある。